探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-に-


仁木悦子(にき・えつこ)

本名二日市八重。1928年(昭3)、東京生まれ。児童文学者協会会員。
4歳のとき、胸椎カリエスに懸かったため、就学せず、家庭で教育を受ける。
1954年(昭29)、童話「白い雲・黒い雲」が「こどもクラブ」に入選し、以来、大井三重子名義で100編ほど執筆。
1956年(昭31)、河出書房が刊行した「探偵小説名作全集」の別巻として書き下ろし長編を出すはずだったが、社業不振のため、中止。その際、入選が決定していた「猫は知っていた」を1957年(昭32)、江戸川乱歩賞に応募、受賞する。本編により、探偵小説は推理小説として、ジャーナリズムの脚光を浴び、大ヒットする。
ただし、「猫は知っていた」刊行前の1957年(昭32)、「宝石」に「黄色い花」が掲載され、こちらが処女作。
1957年(昭32)に「宝石」に発表した「粘土の犬」が、1958年(昭33)に第11回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。なお、「粘土の犬」は「猫は知っていた」が書かれた原稿用紙の裏に下書きされたという。
1958年(昭33)、「宝石」に発表した「かあちゃんは犯人ぢゃない」が1959年(昭34)、第12回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1961(昭36)、女性探偵作家団体の霧の会を結成し、代表を務める。
1962年(昭37)、後藤安彦と結婚。
1962年(昭37)に「宝石」に掲載された「うさぎと豚と人間と」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1967年(昭42)に「小説新潮」に発表した「空色の魔女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1971年(昭46)、戦争で兄をなくした妹の立場から新聞に投書を行い、それがきっかけで戦死した兄を持つ妹たちの集まりである「かがり火の会」が結成、代表を務める。
1971年(昭46)に刊行した「冷えきった街」が、1972年(昭47)に第25回日本推理作家協会賞の候補となる。
1971年(昭46)に「小説サンデー毎日」に発表した「虹色の犬」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1972年版」に収録される。
1973年(昭48)に「小説新潮」に発表した「石段の家」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1974年(昭49)に刊行した「灯らない窓」が、1975年(昭50)に第28回日本推理作家協会賞の候補となる。
1975年(昭50)に「小説推理」に発表した「青じろい季節」が1976年(昭51)、第29回日本推理作家協会賞長編賞の候補となる。
1977年(昭52)、東京都のペット条例に反発し、「自然と動物を考える市民会議」を結成、中心メンバーとなって活動する。
1978年(昭53)に「小説推理」に発表した「早春の街に」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1979年版」に収録される。
1980年(昭55)に「小説現代」に発表した「赤い猫」で1981年(昭56)、第34回日本推理作家協会賞短編賞受賞。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1981年(昭56)に「別冊小説宝石」に発表した「一匹や二匹」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1986年(昭61)に「小説現代」に発表した「折から凍る二月の」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1987年版」に収録される。
1987年(昭62)に「ミステリマガジン」に発表した「聖い夜の中で」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1988年版」に収録される。
1986年(昭61)、腎不全により死去。「日本のクリスティ」と呼ばれている。

幻影城掲載誌:27/別冊幻影城掲載誌:5/6/日本長編推理小説ベスト99/幻影城ミステリ/


西尾正(にしお・ただし)

1907年(明40)、東京生まれ。慶応大学経済学部卒。亀の子印のたわしで有名な西尾商会の一族である。別名戸原謙。
三田正の名で「ぷろふいる」の読者投書欄である「談話室」に評論を投稿。
1934年(昭9)、「陳情書」を「ぷろふいる」に発表したが、内務省の指示により発禁になる。
1949年(昭24)、結核にて死去。

幻影城書庫:「土蔵

幻影城掲載誌:10/29/


西田政治(にしだ・まさじ)

1893年(明26)、神戸市生まれ。別名に、秋野菊作、花園守平、八重野汐路。
1920年(大9)、八重野潮路名義の「林檎の皮」が「新青年」の第一回募集に一等入選。
1920年(大9)、八重野潮路名義の「破れし原稿用紙」が「新青年」の第ニ回募集に一等入選。
1921年(大10)、にビーストンの「マイナスの夜光球」を「新青年」に初紹介。
1925年(大14)、「探偵趣味の会」同人となる。
1932年(昭7)、本名で「湯原御殿殺人事件」を「新青年」に発表。
1947年(昭22)、「神戸探偵小説クラブ」を西田政治、山本禾太郎蒼井雄酒井嘉七らが再興。
1948年(昭23)、関西探偵作家クラブ会長就任。
1954年(昭29)、日本探偵作家クラブ関西支部の支部長就任。
チェスタトンカークイーンなど、翻訳多数。横溝正史と親しいが、はじめは弟の西田徳重の友人だった。
1984年(昭59)、肝硬変のため死去。

幻影城掲載誌:7/20/別冊幻影城掲載誌:1/


西村京太郎(にしむら・きょうたろう)

本名矢島喜八郎。1930年(昭5)、東京生まれ。長谷川伸の門下生の団体「新鷹会」に所属。「大衆文芸」同人。
1956年(昭31)、講談社の書下し長編探偵小説全集募集に本名にて「三〇一号車」を応募し、最終候補作となるが、鮎川哲也に敗れる。
1957年(昭32)、第三回江戸川乱歩賞で「二つの鍵」が二次予選を通過。
1960年(昭35)、黒川俊介名義の「醜聞」が第6回江戸川乱歩賞最終候補となる。のちに「殺人の喜劇」も江戸川乱歩賞候補となり、「焦げた密室」として刊行される。
1961年(昭36)、「黒の記憶」が「宝石増刊」に掲載。
1962年(昭37)、「病める心」が第五回双葉新人賞の二席入選。
1963年(昭38)、「歪んだ朝」が第二回オール読物推理小説新人賞を受賞。
1965年(昭40)、「天使の傷跡」が第11回江戸川乱歩賞受賞。
1966年(昭41)に刊行した「D機関情報」が、1967年(昭42)に第20回日本推理作家協会賞の候補となる。
1967年(昭42)、「太陽の砂」が総理府が募集した「21世紀の日本」という課題で募集した懸賞に入選。
1975年(昭50)に発表した「消えたタンカー」が1976年(昭51)、第29回日本推理作家協会賞長編賞の候補となる。
1976年(昭51)に発表した「消えた乗務員」が1977年(昭52)、第30回日本推理作家協会賞長編賞の候補となる。
1977年(昭52)、「発信人は死者」を刊行。
1977年(昭52)に「小説現代」に発表した「変身願望」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1978年版」に収録される。
1978年(昭53)、「寝台特急殺人事件」を刊行。この作品は「週刊文春」の78年「傑作ミステリーベスト10」の9位に選ばれる。
1978年(昭53)に刊行した「炎の墓標」が1979年(昭54)、第32回日本推理作家協会賞長編部門の候補となる。
1979年(昭54)に刊行した「夜間飛行殺人事件」が 1980年(昭55)、第33回日本推理作家協会賞長編部門の候補となる。
1980年(昭55)、「終着駅殺人事件」を刊行し、1980年(昭55)に第34回日本推理作家協会賞長編賞を受賞。
1981年(昭56)に「小説現代」に発表した「ゆうづる5号殺人事件」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1982年(昭57)、「ミステリー列車が消えた」を「週刊新潮」に発表。
1983年(昭58)に「別冊小説宝石」に発表した「おおぞら3号殺人事件」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1984年(昭59)に「オール讀物」に発表した「死への旅「奥羽本線」」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1985年版」に収録される。
1985年(昭60)に「小説新潮」に発表した「青に染った死体」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1986年版」に収録される。
1986年(昭61)に「小説新潮」に発表した「大垣行345Mの殺意」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1987年版」に収録される。
1987年(昭62)に「小説現代」に発表した「列車プラス・ワンの殺人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1988年版」に収録される。
2004年(平16)、第8回日本ミステリー文学大賞受賞。
トラベルミステリで人気作家となる。旺盛な執筆活動で、300冊以上の著作を持つ。山村美紗と親しい関係にあった。

別冊幻影城掲載誌:6/


西村寿行(にしむら・じゅこう)

1930年(昭5)、香川県高松市生まれ。
1969年(昭44)、「犬鷲」が第35回オール読物新人賞佳作になる。
1972年(昭47)、朝日新聞社募集の動物愛育記に入選。
1973年(昭48)、処女長編「瀬戸内殺人海流」を刊行。
1973年(昭48)に刊行した「安楽死」が、1974年(昭49)に第27回日本推理作家協会賞の候補となる。
1976年(昭51)、「スポーツニッポン」に「牙城を撃て」を掲載。
1976年(昭51)に「小説現代」に発表した「咆哮は消えた」 が、1976年(昭51)に第75回直木賞候補となる。同時に日本文藝家協会の「現代小説 1976」に収録される。
1976年(昭51)に発表した「滅びの笛」 が、1976年(昭51)に第76回直木賞候補となる。
1977年(昭52)に「オール讀物」に発表した「魔笛が聴こえる」が、1976年(昭51)に第76回直木賞候補となる。
1981年(昭56)、「癌病船」を刊行。
1987年(昭62)に「問題小説」に発表した「庭師」は日本文藝家協会の「現代の小説 1988」に収録される。

幻影城掲載誌:43/日本長編推理小説ベスト99/


日本推理作家協会(にほんすいりさっかきょうかい)

1954年(昭29)、江戸川乱歩が還暦を記念して寄付をした江戸川乱歩賞基金と、1958年(昭33)に角田喜久雄によって寄付された日本探偵作家クラブ賞基金を維持するために、日本探偵作家クラブのあとをうけて、1963年(昭38)1月、社団法人化して改組。改組にあたって文部省は類似団体として既に日本文藝家協会があることを理由に当初は見とめられなかったが、江戸川乱歩の尽力により認可された。初代理事長に江戸川乱歩が就任。その後、松本清張が理事長、次いで会長となった。理事長は島田一男佐野洋三好徹山村正夫中島河太郎生島治郎阿刀田高北方謙三、逢坂剛が務めている。協会の主な仕事として、日本推理作家協会賞、江戸川乱歩賞の選定受賞、推理小説年鑑の刊行、機関誌「推理小説研究」の発行など。
1997年(平9)、には設立50周年を迎え、記念事業として辻真先作の文士劇「ぼくらの愛した二十面相」の上演をおこなう。


日本推理作家協会賞(にほんすいりさっかきょうかいしょう)

日本探偵作家クラブ賞を1963年(昭38)度より改称。日本推理作家協会が授与する。当初は部門はなかったが、1976年(昭51)から長編部門、短編部門、評論その他部門にわかれた。再受賞は禁じられている。

幻影城掲載誌:20/44/45/46/47/53/


日本探偵作家クラブ(にほんたんていさっかくらぶ)

1946年(昭21)から「宝石」を発行した岩谷書店で催された月例懇談会の土曜会(土曜会の名付け親は大下宇陀児)が前身。
1947年(昭22)設立。初代会長は江戸川乱歩が就任。次いで大下宇陀児、木々高太郎渡辺啓助が就任した。事務所は当初は「黒猫」を発行していたイヴニング・スタア社にあり、のち宝石社に移った。なお、当初は「探偵作家クラブ」と称したが、1954年(昭29)に関西探偵作家クラブが関西支部になった際に「日本探偵作家クラブ」と改称した。
事業としては、日本探偵作家クラブ賞の受賞、探偵小説年鑑の刊行、月例談話会、日本探偵作家クラブ会報の発行などがある。


日本探偵作家クラブ賞(にほんたんていさっかくらぶしょう)

1947年(昭22)に創立された、毎年に発表された優秀作品に日本探偵作家クラブから贈られる賞。長編賞、短編賞、新人賞(第一回のみ)があったが、1952年(昭27)から部門別の区別がなくなった。当初は、再受賞は禁じられていなかったが、候補作が選ばれ、その中から受賞経験のない候補者に対し、優先的に授与されるので、再受賞者はなかった。1954年(昭29)の第7回から再受賞が禁じられるようになった。
1958年(昭33)に、同賞受賞を期に角田喜久雄によって寄付され、賞金は増額。以後、寄付された基金は角田基金と称される。


日本文藝家協会(にほんぶんげいかきょうかい)

1926年(大15)に劇作家協会と小説家協会が合併して設立。現在の名称になったのは、1945年(昭20)。作家、劇作家、評論家、随筆家、翻訳家、詩人、歌人、俳人等、文芸を職業とする職能団体。事業として、「文藝年鑑」、「文学」(純文学の年間選集)、「代表作時代小説」(時代小説の年間選集)、「現代の小説」(エンターテインメントの年間選集)などを刊行。


日本冒険小説大賞(にほんぼうけんしょうせつたいしょう)

1981年(昭56)に内藤陳によって設立された日本冒険小説協会が、1983年(昭58)に創立。年次大会で会員投票によって選定される。大賞は国内部門と海外部門にわかれている。第一回受賞作は北方謙三の「眠りなき夜」。


日本ミステリー文学大賞(にほんみすてりーぶんがくたいしょう)

1996年(平8)に財団法人光文社シエラザード文化財団によって創設。
ミステリー文学の発展に著しく寄与した作家、評論家に与えられる。第一回は佐野洋に授与された。新人賞も設けられており、長編を公募し、選定される。


新羽精之(にわ・せいし)

本名荒木清一。1929年(昭4)、長崎県佐世保市生まれ。同志社大学中退。
1958年(昭33)、夏木蜻一名義で、「炎の犬」を「宝石増刊」に発表。
1962年(昭37)、新羽精之名義で、「進化論の問題」「火の鳥」を「別冊宝石」に発表し、「進化論の問題」が第三回宝石賞第一席受賞。
1977年(昭52)、肺結核のため死去。

幻影城掲載誌:7/8/16/18/25/26/27/29/30/31/32/33/35/37/42/幻影城ノベルス/


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